盗撮中毒者の末路

盗撮から抜け出せずに破滅へと進んでいった愚か者の経験談です。

心の隙間

盗撮現場を目撃してから半年後。

年が明けてから間もない冬、僕は仕事を辞めた。

 

社会人デビューをしてから3年。盆や年末年始の休暇などなく、祖母の葬儀にも参加することなく朝から晩まで拘束され働き続ける日々に甘ったれた精神が悲鳴を上げ、旧態依然のまま思考が凝り固まり根性論と精神論が支配する職場から僕は逃げ出した。

 

僕は自由を謳歌した。

友人たちと旅行に出かけ、眠りたいだけ眠り、大好きなゲーム、映画を満足するまで堪能した。夢のような日々だ。

 

だが、そんな生活も一か月経てば変わり映えもなく、緩み切った生活に対して楽しさを見いだせず、それどころか職場から根を上げることなく踏みとどまっている同僚や、働いている友人たちの姿を見ていると焦燥した。

見知った人間だけでない、ふと外に出れば多くの人が昼夜を問わずに働いている。

進み続ける社会の中からポツンと取り残された感覚に陥り、孤独を感じた。

働いて再び歩み始めなければいけないという焦りと、社会の中に戻ればこの自由な生活は出来なくなり、新しい仕事や人間関係に悩む日々に逆戻りしてしまうという不安から板挟みになり、僕は不安定な心のままに怠惰な生活を繰り返した。

 

そんなモラトリアム人間と化した僕は日夜、現実から目を背けるためにアダルトサイトでのオカズ探しに没頭していた。

その時、僕は逆さ撮りの盗撮動画に出会った。

綺麗な女性の後をつけて、エスカレーターで背後からカメラでスカートの中を盗撮して、何事もなかったかのようにその場を後にする。

僕はその逆さ撮り動画に対して、今まで感じたこともないモノを感じた。

本来、見ることの出来ない女性の下着を女性本人に知られることなくこっそりと覗き見てあまつさえ、それがネット上に公開されて不特定多数の人間の目に留まり、オカズにされる。

人の秘密を知ってしまった優越感、高揚感に似たワクワクと、公共の場で見せたくない下着姿を撮影されているその異常性に僕は強い興奮を抱き、憑りつかれた様に逆さ撮り動画を求めるようになった。

抜け出せない盗撮中毒の最初の一歩だった。